破壊された景観と自殺大国

加賀乙彦さんの『不幸な国の幸福論』を読んでいます。まだ途中ですが、様々な日本の問題点について指摘されており、なるほどと肯くものばかりです。

戦後、高度経済成長を迎えた日本は欧米に追い付け、追い越せと皆身を粉にして働きました。物質的豊かさこそがすなわち幸福であると誰もが信じて疑わなかった時代です。

しかし、バブルが弾け、現代の日本は不況にあえぎ、慢性的な不満と不安がこの国全体を覆っています。

 

本書の中で、アレックス・カーという人が日本の景観について論じた『犬と鬼―知られざる日本の肖像』という本が紹介されています。彼は祖谷という徳島の山村に魅せられ、日本の景観を守ろうというNPO活動を行っています。

日本はあまりに公共事業に金を使いすぎているため、不必要な自然開発、土木工事が進められ、かつて美しかった日本の風景は次々と失われている。電線が空を巡り、不必要なダムが作られ続けている。

京都や奈良も、古い町並みはほとんど残されておらず、無秩序に近代化が推し進められた。僕は京都に住んでいたことがあるからわかるのですが、はじめ京都に来たときは、「ここはなんて騒々しい街なんだろう」と愕然とした記憶があります。たしかに寺社・仏閣は素晴らしいですが、大通りを車が大量に走り、人々はギスギスとし、心の平安が得られる場所ではありませんでした。

 

無駄な公共投資が際限なく行われた結果、社会保障費は抑制されました。日本のGDPに占める社会保障費の割合は先進国の中で最低水準です。公共事業にお金を使いすぎているから社会保障費に回すお金がないのです。結果として、日本は世界有数の経済大国でありながら、脆弱なセーフティネットしか持たない国となってしまいました。

現在、日本の年間自殺者数は、ここ2年は3万人を下回ったものの、それでも先進国の中では異様に高い数字です。

 

コンクリートで塗り固められ、絶えず車などの騒音にさらされている僕たちの体には知らず知らずのうちに疲労が蓄積されていきます。身近にあった自然は次々と姿を消し、代わりにマンションや住宅が立ち並ぶようになりました。かつて当たり前のように見られた蛍の姿も、今や限られた場所でしか見ることができません。

先日海外から帰ってきて、関西空港から京都へ向かう列車の中に京都に観光に行くと思われる外国人夫婦の姿がありました。関空から京都へ行くには大阪の町中を通るのですが、その列車の中で僕は暗澹たる気持ちになりました。日本はなんと無機質で汚い町ばかりなのだろう、と。この期に及んでビルの建設を進めようとする建築現場を見て、呆れてしまいました。

その外国人の奥さんはじっと車窓から外の景色を眺めていました。彼女は何を思ったのだろうか?

 

不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)

不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)

 

 

 

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

犬と鬼-知られざる日本の肖像-